サヨナラは
意外に突然やってくるものです。
長い間、、私には
本当に長い間でした。。
ブログを書くことが出来ず
ご心配してくださった皆様
本当にごめんなさい。
そして、ありがとうございます。
まだ、メールも返信出来ていない状況ですが
ここでお返事と重ねて書きますことも
お許しください。
二月に入って
携帯をやめて
自宅のADSLの回線だけが
私の精神を保ってくれていました。
だけど、つながる時間がわずかで
書いても書いても消えてしまう。
保存する時間もないまま
消えてしまう状況は
私の精神力を歪めてしまいました。
そして、とうとう、そんな日が続き
私は、立つことも出来ないほどに
気力を失いました。
それが
私に罰を与えました。
普段、いや、絶対にしないことを
してしまったのです。
アトリエの机の下に
寝込んでしまいました。
そして、
すぐに事故は起こりました。
机の上から
私の口をめがけて
あの重い鉄のアイロンが落ちてきたのです。
最初は
意味が分かりませんでした。
でも、口に広がる血の味で
切れたことを感じました。
急いで体を起こすと
真っ赤な血が
右手に広がり落ちました。
主人がすぐにやってきて
血を止めて
見てくれます。
『大丈夫や』
その一言と主人の目が
嘘ではないと分かりました。
でも、それとは逆に
舌で触ると
唇の裏側に大きな穴があいています。
歯には想像もできない痛みが走ります。
『縫うと傷が残るから、このままくっつけよう。
傷は小さいから、大丈夫』
そう、主人は言ってくれましたが
私は涙が止まりませんでした。
後悔という思い、
ブログが出来ないということくらい
他の人には
どうでもよいことかもしれませんが
私には友をつなぐものでした。
大事な友をつなぐものでした。
それが支えだったのです。
それだけが支えだったのです。
だから、支えを失い
私は気力を失ったのです。
でも、それがこんなことになってしまった。
こどもたちに落ちなくて良かった、
目に落ちなくて良かった、
顔面に広がる痛みと
色んな後悔が
私を責めるように問いかけます。
痛みは、夜中も続き
朝になると
歯と唇の痛みだけになり
マスクをして
仕事を続けました。
今は、昨日からマスクを外しました。
主人も子供たちも大丈夫だよと
言ってくれても
あのときの思いが強く
鏡を見るのは
なかなか出来ませんでした。
その日から
ブログをやめよう。
そう思いました。
先ほども言いましたが
私は
大事な友に発信するために
ブログを始めたのに
違う方向へ歩み始めていたのです。
まるで、自分の体に鎧をかぶせるかのように
なにもかもを放って
ブログをしていたんです。
なにも得ることなんてありません。
沢山の思いがあります。
美しい喜界島を紹介したかった。
それだけでした。
だけど、
それは、
時には島出身ではない私を
苦しめるものでもありました。
集落名や植物などの名前も
間違ったり
方言の書き方
色々と島ご出身の方には
失礼がありましたことを最後に謝らせていただきたいと思います。
本当にすみませんでした。
そして
楽しみに応援してくださった
本当に私を思ってくださる皆様
本当にありがとうございました。
本当に楽しかったです。
コメントをくださったり
コメントを書いてくださらなくても
ずっとみてくださっていた皆様
本当にありがとうございました。
本当は、やめるのは
すごく考えました。
3年以上、ここで確立してきたのですから。。。
でも、インターネットもつながらず
くよくよするなら
やめようとおもったのです。
それは
休みの日に作った『ライ麦パン』が
きっかけになりました。
一日にライ麦パンを
三回も焼いたんです。
焼けたんです。
時間のない私が
三度も、、、
主人も子供たちも
たくさんたくさん
食べてくれました。
無くなっても焼ける、、、
そんな時間を感じたとき
やめようと思いました。
パソコンへ向かう時間は
必要最低限でいいのだと、、、
本当の友は
毎日の更新でなくても
待っていてくれるし
私も変わらず大好きなのです。
変わらず支えなのです。
このブログは
もう、今日でお別れします。
新しいブログを作りました。
初心に戻って
本当に友達に書く手紙のように
のんびりゆっくり
ブログをしようと。。。
離島ランキングも
クリックをありがとうございました。
本当に皆様のおかげです。
感謝で一杯です。
今度は
喜界島を一切名乗らず
この島の美しさを
私らしく
アピールして行きます。
どうぞ、島の方に
ご理解いただけたらと思います。
本当にこのブログは
私を守る鎧のようでした。
この鎧を脱いで
ここで生活してくのは
私には困難かもしれません。
だけど、
変えなくてはいけないのです。
私は、
島出身ではないけれど
なんの武器も
鎧も身に着けていないということを
分かってほしい。
私が武器と鎧を身に着けるのは
子供を守る時だけ。
島に越してすぐに
親戚の大好きなおばさんが
私の肩を抱いて
こうおっしゃってくださった。
『みんな家族よ〜島の人は、みんな家族よ〜』
その言葉を
叶えるために
私は動かなくてはいけない。
島に帰りたい人
島で暮らしたい私のような島出身ではない人
島にずっといる人
みんな家族でしょ?
みんな家族になりましょう。
どこが違うのでしょうか?
どこが違うのでしょうか?
私は
喜界島が好き。
生まれた場所よりも好きなのです。
サヨナラ
また、きっと会えます。
ご縁があれば
きっと、会えます。
しばらく新しいブログは
友達と血縁関係にある方のみにしか
お知らせしません。
パソコンがつながり次第
お知らせしますので
今しばらく、お待ちくださいね。
美しい喜界島をあなたへ。。。
島と同じように
誰もが
同じ心でありますように
願いを込めて。
サヨナラ。
本当にありがとうございました。